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京都洋食会の歩み

八代  奥村洋史

(平成26年9月〜平成28年8月)

七代  高橋 甫

(平成24年9月〜平成26年8月)

六代  福村賢一

(平成22年9月〜平成24年8月)

五代  上島唯喗

(平成20年9月〜平成22年8月)

四代  伊谷 博

(平成 2 年9月〜平成20年8月)

初代  伊谷 周

 (昭和30年9月〜昭和60年8月)

二代  高橋 俊

(昭和60年9月〜昭和62年8月

三代  奥村 忠

(昭和62年9月〜平成 2年8月)

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昭和30年9月25日

発会式開催   (萬養軒)

昭和40年9月21日

10周年記念総会 (都ホテル)

昭和45年9月14日

15周年記念総会 (京都グランドホテル)

昭和50年9月16日

20周年記念総会 (新都ホテル)

昭和55年9月13日

25周年記念総会 (京都ロイヤルホテル)

昭和60年9月

30周年記念総会 (都ホテル)

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京都KTP研究会・見学懇親旅行日記 掲載記事より

 

資料によると

京都KTP研究会はこの春で結成十年。

三月一日より三泊(車中一泊)新潟より上越方面を旅行。

 

三月一日(火)

 午後八時三十分京都駅集合。午後九時十九分発 急行”日本海”で乗車出発。

今回は14名の一行で、世話人は東洋食器の中西社長が当番である。

KTPの親睦感は、うちくだけて愛称のニックネームで呼びあうこと、

旅行中はムードよくほがらかに語りあうこと、

持参のウイスキー”つまみ”ものにて車中のにぎやかなこと。

ユーモア連発で爆笑また爆笑、金沢を過ぎるころにはつかれが出て各自睡眠。

 

三月二日(水)

 午前八時二十分新潟の東三条駅下車、午前十時弥彦ホテル着。

入浴休憩後歴史の昔より新潟県民崇敬の弥彦神社に参拝する。

おのづから心身締る。

ホテルに帰り正午より五社銀器製造会社共同の歓迎午餐宴に出席。

その後、歓迎を受けた五社の工場を次々と各社工場長の案内にて見学。

銀器類のナイフ、フォーク等各種の製造工程を見学し認識をさらに新にする。

午後五時新潟東映ホテル着。

元京都勤務で現在新潟で活躍されている懐かしい面々と久しぶりの再会。京都時代の思い出話に花が咲く。

夕宴は新潟市一の料亭”鍋茶屋”。

出される料理は一品一品美味にして女中さんのそのサービスマナーの行届いた洗練さに教えられる点が多い。

三月三日(木)

 朝食後、東映ホテル川上支配人に紹介される。

神戸市出身で長年ホテルマンとして苦労された方で、

接客待度のその善さにおのづと頭がさがる。

新潟駅を後にして、夕刻に本日宿泊の奥利根川畔の

水上温泉蒼海ホテルに到着。

残雪深き谷川岳が前にそびえ、奥利根の渓流の流れに

面してさらに旅情を楽しむ。

ホテル宴会場にて、夜宴の山菜料理を味わう。

三階節に合せて踊り唱い、夜の更けるのを忘れる。

 

三月四日(金)

 この旅行の最終日である。

水上に名残りをおしみつつ出発。

午後二時に東京上野着。東洋食器東京店を訪問。

東京駅四時発光号にて帰京、七時京都駅着。

1966年の記事

商売敵が商売仲間に

洋食会よろこびの20周年総会

掲載記事によると

 京都洋食会の創立20周年記念総会が9月16日、新都ホテルで開かれた。

高橋副会長は「この会ができたのはついこのあいだのように思うが、早くも

20年の歳月が流れ、会員も100名を数えるまでに発展したことはご同慶

に耐えぬ」とあいさつをし、進入会員三氏を紹介した。

 

伊谷会長あいさつ

 創立当時は終戦後のヤミ商売も正常に戻って一応の落ちつきを取り戻したものの、

同業者間には”商売敵”という気風が残っていて同業者でありながらお互いにモノも

言わぬ、また出入商人と従業員間にリベート問題もウワサされていた。

こんなことではまじめな商売もできぬし、業界の健全な発展も望めないとおもい、

京司クラブ北村幹事長を介してジャワの富田、スエヒロの上島両氏と貴船の料亭で

話し合い、この会をつくった。

 それから20年、親睦旅行や研修会、クリスマスの催しなどを通して現在では

”商売仲間”という親しみが生まれ、人生にうるおいができたことはうれしい。

と感懐こめてあいさつを行った。

1975年10月10日の記事

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